かつて人が自然と語り合えた時代から現代へ

自然との対話の時代


『かって人が、花や樹や鳥たちと本当に話ができた時代がありました。』

その頃、人は自分たちの命が、宇宙の大きな命の一部であることを誰もが知っていました。

太陽を敬い、月を崇め、風に問ね(たずね)、火に祈り、水に癒され、土と共に笑うことが本当に生き生きとできたのです。

 

科学技術の進歩と自然との疎遠

ところが最近の科学技術のめまぐるしい進歩とともに、人はいつの間にか、「自分が地球の主人であり、自然は自分たちのために利用するもの」と考えるようになってきました。

その頃から人は、花や樹や鳥たちと話す言葉を急速に忘れ始めたのです。
 

自然との言葉を取り戻すために

人はこのまま自然と語り合う言葉を、永遠に忘れてしまうのでしょうか。それとも科学の進歩と調和しながら、もう一度、その言葉を思い出すことができるのでしょうか。

 

## 「志音(しおん)」の意味と使命

「志を果たしていつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷」  
森羅万象を師として、地・水・火・風・空、空海の提唱した五大の響きと共に、志を照らす音を「志音」(しおん)と名付けました。志音とは自分を愛し慈しみ、自己と宇宙の調和をもたらす、霊心体のバランスを調整する羅針盤です。

 

## 「一般社団法人 千ヶ峰・志音の里」の設立

「一般社団法人 千ヶ峰・志音の里」を設立して生涯、志の響きを探究する地にご縁しました。

 

## サウンドセラピーと心身医学

日本病院管理教育会・総合診療師のサウンドセラピストとして以下のように考えています。

サウンドセラピーとは心身医学の領域で、心(魂)と身体から病気に取り組みます。現代西洋医学においても病気の原因の75パーセントはメタフィジック(物質を超えたレベルで見る)感情や心によるとされています。

病気や不調は私たちが無意識の内に生存を脅かす、左脳海馬から反芻されるシャドーの声、それはネガティブな響きなので、「自分のためにならない考え方はやめた方が良いですよ」と告げています。

またユングは「表面意識と潜在意識が絶えず影響しあっているように、身体も心も影響しあっている」と述べています。

 

## 人間の成長と進化の三つの体

私たち人間が物質世界における成長と進化は(物質体)、(感情体)、(精神体)の三つの体があってこそ可能です。

サウンドセラピーでは心身医学の領域でメタフィジックな面から「調身(リラックスした姿勢)」「調息(呼吸の方法)」「調心(心のあり方)」を基本としたプログラムを波動医学(Vibrational Medicine)をベースとした量子音響セラピー(Quantum Sound Therapy)をご提案します。

**Quantum Sound Therapy based on Vibrational Medicine**

 

## 東経135度ラインへの引き寄せと「あいか庵」の始動

東経135度ラインに本能的に引き寄せられ、兵庫県多可町加美区丹治に移住して霊峰千ヶ峰の麓を訪れた時「ここに導かれたのだ」と思いました。

発酵・微生物・自然農・断食・瞑想を行い、衣食住農芸同源のサウンドセラピーリトリートハウス「あいか庵」が始動して3年、山の水で自然栽培と穂積収穫をする田んぼ、小さな畑、念願の井戸水と薪ストーブが入り土と火と水を身近に感じ心穏やかに暮らしています。

 

## 「三谷大滝」とセオリツ姫

あいか庵からほど近い、三谷大滝は兵庫県多可町西部に聳える千ヶ峰(1005m)南東麓を流れる三谷川に懸かる滝で、上流の雄滝と下流の雌滝で構成される。

「三谷大滝」は、「三谷渓谷」の主瀑で綺麗な渓流瀑です。(セオリツ姫)瀬織津姫がこの水源に導いてくれたと思います。

セオリツ姫は大祓詞の中にミソギを司る祓戸大神として登場します。この名は神道最高の祝詞に祓戸大神として最初に名前が出てきますが『古事記』や『日本書紀』には登場していません。

そのため、「隠された女神」と言われることもありました。セオリツ姫の名前が出てくる古文書はごくわずかで「大祓詞」と「倭姫命世記」ぐらいしか見当たりません。

罪を祓うことをミソギといいます。ミソギの(ミ)とは自己の本質のことです。そして(ツミ)とは本質の上に覆いる余計な知識や観念、思い込みのことです。

本当の自分を自我意識で包み隠すことが(ツミ)だったのです。そうした(ツミ)を削ぎ落として本来の(ミ)に帰ることが(ツミソギ)、即ちミソギなのです。

本来の(ミ)、素(ス)の自分を神道では直霊といいます。

 

## 祝詞と魂振り(タマフリ)

祝詞をとなえることで揺れ動く心を浄化・安定させて、リラックスした状態でいると、根の国、底の国(身体の基底部)から自然に振動(魂振り)が起きます。

その振動は背骨(天之御中主神)を通って、陽のエネルギー(高御産巣日神)と陰のエネルギー(神産巣日神)を螺旋状に上昇させます。

そして頭頂の高天原で陰陽のエネルギーは一体となってムスビます。そして頭(大脳)にあった間違った思い込み・観念である罪(まがつみ)は、セオリツ姫が背(セ)へを降(オ)り(リ)つ(ツ)つ、根の国、底の国へと運びさるのです。

こうして、タマフリ(魂振)が起こることによって、禍罪が祓われ、本来ミコトである「人」は神である本性の姿(直霊)に戻ります。

 

## ガイアの法則と文明の転換期

ガイアの法則によると、約800年ごとに切り替わる文明の転換期、東と西が交代して今までの800年の間、西回りのイギリスのケンブリッジ中心に「物質優先」のアングロサクソン文明が栄えました。

シフトして次は「精神文明」が花開く東回りの番、位置は日本の東経135度の子午線です。1995年阪神淡路大震災が転換期の始まりだとされています。

6434人が犠牲となる未曾有の被害をもたらした大災害から29年、人生の分岐点還暦を迎え「大自然のエネルギーにふれシンプルに生きる」・「日々の小さな営みを愛しんで暮らすこと」原点回帰の生活をしています。

 

## 阪神淡路大震災の体験

文明の転換期!1995年1月17日早朝、異常な轟音にゆさぶり起こされ、そばで寝息を立てていた娘をとっさに抱き締めた次の瞬間、大黒柱が折れ、崩れていく建物の中、母は私たちに覆いかぶさり、わが身を盾にして守ってくれました。

その直前まで生活を彩っていた愛すべきものが、なぎ倒され、破壊されてしまいました。人間が毎日の営みの中でコツコツと築き上げてきたものを、自然は一瞬で奪うことができるのです。

大地が引き裂かれる音は、私の脳裏と骨の髄まで深く、深く、刻み込まれました。それは神の嘆きであり、大自然の怒りであり、傲慢な人間への警告のように思われ、死の刻印を押されたような恐怖でした。その音は消えることがなく深い心の傷となってわが子が死ぬかもしれないという悪夢に苛まれる日々が続きました。

 

## 娘の病と祈りの歌

河合隼雄氏は『子どもの心の心理療法は、あくまで子どもの宇宙への畏敬の念を基礎として行われる。畏敬すべきこれほどの存在に対して、その魂の殺害にどれほど加担しているか、そのことを知っていただきたいのである。

家族内において、なんらかの理由でおざなりにされた弔いや喪の仕事を、その家の子どもが一身に背負っていて、そのために原因不明の症状が出ているとしか思えないケースがある。

大人が大切な人の死に向き合えないでいるとき、子どもがそれを促すために病気になる、ということがあるのかもしれない。』と述べています。

娘の病が発覚し「10歳まで生きられない」と短命を宣告され、今にも命の灯が消えそうな幼いわが子を抱え、祈り、歌い続けました。癒されない魂の傷を負い、狂気の寸前になりながら、乳がんと甲状腺腫に侵され出口の見つからない闇の中で歌う生命の子守唄。

 

## ステージネーム「あいか」の誕生

震災から5年の月日が流れ、2000年春のある日の明け方「あいか」というステージネームが「愛の言の葉 歌に乗せ 天まで響け」という和歌と共に私のもとに舞い降りました。

「秀真伝(ホツマツタエ)」のヲシテ文字で「あいか」を読み解くと「天から地にアマカミの意思を真っ直ぐに降ろす」という意味になります。

ホツマツタエの古文書にある宇宙の始まりの言霊「あわの歌」をかれこれ22年近く歌い、天地をやわす(調和す)と言われるこの祝い唄を歌うと、内なる響きと愛一元の振動に包まれ至福を感じます。

 

## 「あわの歌」と心音道女神舞

「あわの歌」への導きは、山蔭神齋80世・創生神楽宗家、表博耀氏の「ネオ・ジャパネスク(温故創新)」と題した独自の日本的世界観を表現する創作神楽に母神として世界各国の舞台と、伊勢神宮・出雲大社式年遷宮をはじめ、全国の神社、仏閣で奉祝奉納演奏を行う中で響きを培い「人の魂を鼓舞でき、日本再生の一助となれる音相・声相を磨く心音道」講演会と講座でお伝えいたいました。

また近江神宮で伯家神道の巫女様より祝之神事を、量子物理学から見えない世界を切り開く保江邦夫先生、現代医療を知りつくした矢作直樹先生のお誘いでお業をさせて頂き言霊を授かり、皇太子が即位する際、「現人神(あらひとがみ)」となるために受けられる儀式で明治天皇以降この秘儀は途絶えてしまったとされていました。

京都には表と裏の古代神道の言霊が粛々と伝承されています。

 

## 世界での活動とサウンドセラピー

国内外で50万人が涙した"魂に響く魔法の声"とされ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア世界各国で日本の伝統美と言霊、音霊を伝え、高く評価されている奇跡のサウンドセラピストと呼ばれ、阪神大震災のトラウマや乳がんを自らの治癒力で快復した体験を通して、自分の内から響く声や、言葉を大切に命ある全てのものに、「ありがとう」の心を託したサウンドセラピーコンサートを全国で展開させて頂いた経験は数々の奇跡の導きによる古代の叡智だと確信しています。

 

## 「心音道女神舞」の活動

2015年から2023年まで、ワカ姫の導きでホツマツタエの「あわ歌」を総勢500名の「心音道女神舞」の有志たちと、出雲大社奉祝奉納 被爆70年 阪神淡路大震災20年 高野山開創1200年 奉祝・震災復興と平和への祈願で全国行脚します。

2015年枚岡神社、早池峰神社、宮島大聖院、高野山、2016年北海道小樽住吉神社、吉水神社、北海道神宮、伊勢神宮正式参拝、下賀茂神社ご奉納。2022年三井寺、賀茂神社、2023年空海ご誕生1250年丹生都比売神社、2017、2018、2019、2023枚岡神社お笑い神事では天照大神役を拝命。

心音道女神舞では「無念無想」の変性意識に入る鍛錬を行いました。

 

### 舞の心構え

物に拘泥せず、

人の目を気にせず、

心のうちにいっさいの思いが浮かんでこない

無心無想の状態にあって

謡と舞、体と心とがひとつに集中されたまま、

楽の音にのせて舞うのである

(室町時代の猿楽師 金春禅竹)

 

## 日本古来の禊ぎ文化の尊さ

世界が天変地異、不況、病気の蔓延と不安を煽られる世情の時こそ日本古来の禊ぎ文化が尊いのでは無いでしょうか。

 

## 「はじめに響きあり」と音の力

西洋ではヨハネの黙示録に

「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は、初めに神と共にあった。万物は言葉によって成った。言葉の内に命があった。」ここで「言葉」とはギリシャ語でロゴスと書かれていて、ロゴスの語源は述べる、読む、語るで、耳で受け止めた「響き」と訳すべきで誤訳でしょう。

「初めに響きがあった。響きは神と共にあった。響きは神であった」と訳すと日本人に受け止めやすくなります。

耳に聞き取れなくても、皮膚や松果体を振るわせるものも響きであり、自然界の響き、宇宙の響きを全身で体感、体得、体験するすることが大事であり、言葉と訳すと、頭で考える神となってしまいます。

 

## 無常観と自然の響き

平家物語の冒頭に「祗園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す 奢れるもの久しからず」で始まる有名な文章にも無常感が込められています。しかし、このものの哀れ、諸行無常という文学的表現も、世に並ぶ者もいないほど栄華を極め、権力の座を掌握した平家一族が急速に滅んで行く、歴史を背景に創作された語りです。「盛者必衰の理」という如く繁栄の後にはいつか必ず滅び行く運命があります。

すべての存在が「無常」であるということは、生じたものは必ず滅し、人間は誕生があれば必ず死があります。

人間の世は「生・老・病・死」という後戻り不可能な一筋の道がひかれています。

 

## 里山での死生観と響き

今日新たに産声をあげた幼い生命もあれば、旧友や家族が泡の如く消え去って往くこともあります。

休むことない心臓の鼓動や、鳥のさえずり、虫の音、小川のせせらぎ、稍に吹く風の音にも「時の響き」を感じる里山は、死生観を深めるのに相応しいと感じています。

「はじめに響きあり」生まれてすぐはこの響きをハートで感じる振動感受性が高く、言葉を持ちマインドが強くなると聴こえなくなります。この響きを、蘇らせるにはどうしたらいいのでしょうか?

## 古代の音霊と「音くすり」

秀真伝ではイサナギ、イサナミは二弦の琴を掻き鳴らし「あわ歌」を歌い、五臓六腑に響く音霊を奏でながら、コトハの乱れを整えるべく日本中を行脚されたと記されています。

太古の人々の様に心と体の周波数を上げ、魂の音色を調律できる「音くすり」でストレス社会の現代人が蘇るとしたら!

心身の傷を癒す「音くすり」は、様々なものを削ぎ落としたシンプルな響き、それは天からの一雫の水のように、金色に輝き、魂を解放する「古代の神歌」でしょう。その歌を弾き語りするために、胸に抱く赤ちゃんの様なキンダーハープを「宇宙の周波数」432Hzでペンタトニック日本音階に調律し「あわ琴」と名付けました。

 

## 自身の癒しと「あわ琴」

モーツアルトやシューベルトを聴くと心身がリラックスして癒されますが、長年クラシック音楽で生活していた私の魂の金縛りを、内側から解いてゆくには力不足でした。

耳で聴いて耳の奥の鼓膜が振るえるくらいでは届かないところに、死の刻印が押されているのです。

自分の命に変えても守りたい母性本能は、骨に刻印された死の誘惑を包み込んで弔う必要がありました。そのために骨の髄まで響く音を繰り返し繰り返し、微細な振動で伝え続ける・・・体の深部、骨の中の骨髄や、筋肉の中を走る神経細胞まで・・・あわ琴を奏続け、やっと我が子を抱いておっぱいを含ませる、あの時の満ち足りた幸せな感覚を思い出しました。

 

## オキシトシンと「触れる」こと

優しく肌と肌が触れ合う温もりは、その温もり以上に暖かな泉を内側から湧出させます。母親が我が子を見ることによる視覚的刺激、その泣き声を聞くことによる聴覚的刺激、そして吸引による乳頭の物理的刺激により、母親からオキシトシンが分泌され、その結果、乳頭から乳汁があふれでるとされています。

安らぎ物質オキシトシンは、他の作用として子宮筋肉の収縮を司るので、分娩後に初乳を乳児に与えることは、母親の子宮回復に非常に有効です。

またオキシトシンは、自己肯定感を高める幸せホルモン、セロトニンを増やすことでも知られています。

そのホルモンが内側から湧き出る感覚は、まさに”触れる”ことによって引き起こされ、インナードクターは音で触れる振動感受性が高まり「音くすり」がホルモンとして発動する時を待っています。何という神々しい自然の摂理が私たちの中に眠っているのでしょう。

 

## 音による深い癒し

深いトラウマのある私にとって体の深部まで音で優しく触れ続けること、それは「自らの声で歌う」ことであり、あわ琴の「響きを骨振動で聴く」ことでした。

あわ琴をこめかみ(頭蓋)に当てて音を鳴らすとき、顔の中心にある蝶形骨にも響いてゆきます。音は肌に触れ、骨に響き、脳の深部を振わせるのです。

脳の深部には安らぎ物質オキシトシンが視床下部から分泌され、そこに届いた響きはやがて減衰し空の場に消えてゆき静寂に誘います。

 

## 脳波と瞑想

勉強や仕事などで集中できて満足感をえているときの脳波は10Hzのミッドアルファ波が優勢です。

さらに7.8Hzスローアルファ波は瞑想の「無念無想」状態や眠りの前のまどろみ状態で現れ、脳が健康維持・回復・活性に働くものと思われます。

そして、地球を取り巻く成層圏にはバンアレン帯と呼ばれる電離層があり、7.8Hzに共通する脳波とバンアレン帯のプラズマ振動との共鳴に関連性があり、脳波が7.8Hzになると天と地との振動と共鳴してエネルギーを取り込み、情報を共有できるとも考えられます。

そこは中空であり、エゴの消えた世界です。エゴ(過去の記憶、間違った信念)は主導権を握り、人格を支配し過去のネガティブな記憶に基づいて結論を出し行動を決めます。

ただしエゴは人生を導く力もなく、過去の記憶だけに基づいて機能する左脳が作り上げた幻想以外のなにものでもありません。

愛と信頼を促すオキシトシンが分泌され、その響きは心身を癒し、骨の髄まで振動させ、死の誘惑を弔うことができたのでした。

祈りの具現化とは自らが行動し、闇を恐れず触れることによってのみ、蛹が羽化し蝶として羽ばたいて行くように三次元から五次元に入ってゆくことができるのでしょう。

 

## 「一音成仏」と無音成仏

野山や田畑で「あわ琴」を奏でる中で、「一音成仏」の世界から無音成仏への誘われています。

一音によって仏になるとは、一つの音の中に宇宙、森羅万象の様を見極める音の在り方を示しています。また一音で悟りの境地に至るほど己の全てを掛ける、まさに「自己修練・修行」です。

演奏家は聞き手に音を届けること以前に「心を静めて悟りを開くこと」が大切です。故に「一息吹けば悪因を断ち、二息吹けば善行を積み、三息吹けば観音の道を悟り、四息吹けば人々に救いの道を示す」無音・音無しとは、音は時に鳴っている時よりも鳴っていない時の方が、多くのものを含んでいることがあり、その無音の空の場に三昧の世界があります。

無音のうちに囁く天地の響き、その音は己の心の響きです。

「無念無想」無心であるから、己が心のままに相和してくれる響きは、我を作り上げてくれる良師でもあります。

アイカが提唱する「あわ琴」五大元素母音唱法では、一つの音の中にすべてを込めます。

その音を耳だけではなく骨振動、皮膚振動で感知する訓練をいたします。久遠の響きは「祈り」になり宇宙の律動を聴き「一音成仏」を意識しています。

 

## 量子情報と意識

ノーベル賞を受賞した物理学者のペンローズは、脳細胞には細胞骨格の1つである微小管(マイクロチューブル)があり、これが意識の源であると主張し、人間の意識は、神経細胞ではなく宇宙の成分にその基本があると考え、死ぬとマイクロチューブルの量子情報が宇宙に散らばり、脳内の情報が地球上だけでなく、広大な宇宙とつながる可能性もあります。

また息を吹き返すと脳内に戻り、宇宙の体験や記憶が臨死体験として語られます。私が乳がんと甲状腺腫、パニック症を自分の声で癒した「0ポイントフィールドとの遭遇体験」を考察すると、肉体の記憶を「初期化」したのだと考察しています。

言葉を越えた無音の響きこそ、変性意識に導く深い瞑想と至福の時間です。

 

## 自然との一体感

とても深い自然体験をした時、個人的な小さな存在は消えてゆきます。雄大な山に抱かれ、空の高みに溶けてゆく感覚...ふわりと雲になって漂いながら、鳥たちや風と遊ぶ!

私たちが自然の中に行くのは、自分を超えたものを感じたいからであり、大いなる存在の一部だという拡張された意識を体験したいからではないでしょうか。

自然から得られる体験は、まるで声が何処までも響き渡り境界線が薄くなる時のようです。千ヶ峰の麓にある「志音の里」あいか庵はそれを体験する所です。

 

## 「志音の響き」とシンクロニシティ

「志音の響き」とは魂からのメッセージを受け取り、シンクロニシティの世界を体験することです。

この概念は、日本でも多くの文化伝統、伝承の世界で広く信じられており、霊的なガイダンスを象徴します。

「シンクロニシティ」とは、スイスの心理学者カール・ユングが提唱した概念で、意味のある偶然の一致を指します。

これは、直接的な因果関係がない出来事が同時に起こり、深い意味やメッセージを持つことを表します。例えば、心の中で何かを強く思っているときに、その思いと関連する出来事が偶然にも現実世界で起こることが、シンクロニシティの一例です。

この概念を日本的に捉えると、自然や霊的な世界との調和を重んじる日本文化と深く結びつくと言えます。

日本では、万物に魂が宿るという「八百万の神」の思想が古くから存在し、見えない世界との交信や霊的なつながりは日常生活の一部として受け入れられています。

魂からのメッセージやシンクロニシティの世界を体験することで、人は自分自身や宇宙の大きな流れと調和することができると考えられています。偶然の一致や霊的な体験が、人生の指針や気づきをもたらし、人生の大きな転換点や決断において重要な役割を果たすことがあります。

また自己の成長や現実の世界を超えた視点や新たな意味を提供し、人生の深い精神的な理解を促します。

 

## 縄文スピリットと「音の森」

様々な分野で自然と共にあるスピリチュアリティを体現する人たち、縄文スピリットをベースに自己実現や自己超越する人たちが、光の発信を始めています。

縄文スピリットに目覚めた「ネオ縄文人」は見えない世界、すなわち自然界や精霊、亡き家族や先祖らとの繋がりを実感しながら、管理された人工林のような「閉鎖的なコミュニティ」ではなく、相互養育のできる「豊かな人の森」をつくり始めています。

そこは、専門的な多様性があり、誰も支配管理する者はいない、中空構造をしています。

それは、開かれた意識の響きから生まれる「音の森」のようです。

東経135度を基軸にして、融合周期=母なる周期に入りました。分離のスピンから融合のスピンへ私たちは突入したのです!

 

## 大いなる存在との調和


私たちは大いなる存在の一部です。大自然の中で心と体の周波数を上げ、魂の音色を調律し、今ここから「花の微笑み 根の祈り」縁に恵まれ生かされた命、共に響き愛、より精妙な平安の世界に戻っていきましょう。

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サウンドセラピスト・アイカ  
2024年10月2日