自分らしく自分の声で表現ができない

「いい声をしている人は、豊かだよ。経済的にも成功しているよ」と聞いたのは20代。

『いい声』というのは、きっと『自分らしい自分の声』なんだろうけれど…
私は長い間『まだ本当の自分の声(いわゆるマイボイス)じゃない…』と感じ、肝心なことが相手に伝わらない悔しさと共に、自分の声を好きになれずにいました。

肝心な時に『自分らしく自分の声で表現ができない』
…自分の夢や自分の理想・自分の意志を伝えようとする時に限って、声が上ずったり、声が詰まったりすることが悩みでした。

よく覚えているのは、家族ぐるみの付き合いがある中学からの同級生とのやりとりです。
大人になってからも私の悩みを聞いてくれている親友なのですが…そういう相手なのに声が上ずるのです。
当時、仕事の上では、声が上ずったりすることもなく、会議でも自分の意見を割としっかり発言していたという感覚があるのですが…。
家族以上に私の弱さも知っているその友人に、自分が大切にしていることを語ろうとしたら、そのときの声に違和感が・・・

『こんな声は自分じゃない』『どうして?』と焦りました。
…そのタイミングで友人はスッと席を立って向こうに行ってしまいました。

トイレに行くためだったのか、飲み物を持ってくるために台所に行ったのか、それはもはや覚えていないのですが、肝心な話の途中なのに…
「私のこの思いはこんなにも伝わらないの?」と心の中でうな垂れていました。
話の途中に、何か他のものに目をやったりされると『私の話には気迫も何もないのか。いや力みが痛々しいのか』と思ってしまいます。

それでも懸命に話を続けたら、最後に「声が硬いね」と言われたのです。

自分でも物のように硬い声が、自分の近くに落ちていくような…つまりまともに友人に届いていないことを感じていたので、自分の現状に愕然としました。

私が真剣に考え、行動に移そうとしていることは、不十分なのか、私は頭だけが先行していて、深みのない人間なんじゃないか…

もっと柔らかくふくよかな声で、それでいて地に根ざしたような声で語りたいけれど、今はそうではない。
私が未熟すぎるのか、声を発するときに何らかの心理的フィルターが強くかかってしまったのか。

親友だけでなく、家族や、恋人、旦那さんに大切な話をしたいときもそうでした。
これまでに何度もそういうことがありました。
自分の最も身近な人に、どうして本当の声で語りかけることができないのか、悔しいと同時に、悲しくなって、どうしたらいいか分からなくなっていました。

始まりは一枚のCD。

あいかさんの曲に乗せて、ありがとうの言霊を発し続けたことがレッスンまでのご縁を引き寄せた

自分の声(マイボイス)で語れるようになりたいとそれこそ20代から思っていたので、マイボイスというキーワードにずっと敏感でした。

「自分の声が唯一、その人の本質の扉を開く鍵になるらしいよ」という話も友人から聞いていて、ますます本当の自分の声になりたいと願っていたので『声』・『マイボイス』、あるいは『魔法の声』・『癒しの声』というワードに敏感でした。

そんな時に書店で『魔法の声』という見出しの本を見つけ、しかもCDが付録でついていたので、目が釘付けになりました。

CDには『ありがとう』という曲が入っていること、それを聞いた人は心身が癒され、病気が治った人もいることなどの体験談も読んで、これはこのCDを聴くしかないと本を胸に抱えてレジに行ったのを覚えています。
それがあいかさんのサウンドセラピーの本であり、サウンドセラピーの代表曲とも言える『ありがとう』という曲との出会いでした。

CDを買って聴いてもすぐに飽きてしまう私にとって、このCDは、びっくりするほどヘビーローテーション再生され、度重なる引越しの時もこのCDだけはいつも荷物に入って私のそばにありました。
『ありがとう』という曲は今も私の人生で最も多く再生された曲です。
しかも曲をかけていると自分で歌いたくなります。
実際、私は「ありがとう」という言霊を歌に乗せてリピートし続けていました。

自分の声で「ありがとう」を繰り返し発し続けたことが、10年後の出逢いのための赤い?糸を太くし続けていたのかもしれません。

あのCDとの出会い、あの歌との出会い、そして不思議なまでにリピートして歌い、その言霊が私の内外に作用したというプロセスがなければ、あいかさんとの実際の出会いもなかったんじゃないか、個人レッスンとの出会いもなかったんじゃないかと思います。

ですので私にとってはこの一枚のCDがきっかけとなりました。

不思議なご縁に運ばれて…

私の場合は、何か不思議なご縁に運ばれている気がしたので、それほど不安に感じていませんでした。

あることについて肚(はら)を決めた時に、出会いが訪れました。レッスンを受けようした最後の決め手は…



『自分の声』で自分が大切だと思うことを語れるなら『人生が豊かになる!』
そして、もし、その『自分の声』が手に入ったら、それは、真の自分の人生への切符…20代から頭の中で繰り返されているその言葉はいつしか信念になっていました。

アラジンの魔法のランプを手にして、たった一つの願い事を叶えてくれるというならば、広い御殿でも、高価な宝石でもなく、イケメンの恋人でもなく、私は『本当の自分の声』が欲しい!と頼んだだろうと思います。

実際にアメリカであった話として、失業した男性がヒッチハイクをしていて、その人の声が稀に聞くイケボ(魅力的な声)だったため、無一文から一転、DJとして瞬く間に有名になったという動画を見たのですが、一文無しになっても、多額の借金があっても、魅力的ないい声をしていれば、人生挽回できる。

私自身の声は最も私を癒すから病になったとしても心配はいらないし、眠っている自分のDNAもONにできる。
そして、その声になれたら、私は自分の声が好きになれるし、そんな声になれたらおそらく怖いものなんてありません。

私は、8年くらい前まで、あいかさんが個人レッスンをされていることを知らなかったので、色々と声についての本を読んだり、その関係のセミナーをチェックして、良さそうなものに参加していました。

癒しの声をもつとされる歌い手さんがされている話し方ボイスセミナーに参加したこともあります。
交通費かけてセミナー代かけて、前のめりに吸収しようとしていましたが、期待ほどではありませんでした。
ある一点において、参加してよかったと思うことがあったので、そのために受けたんだなと気持ちをおさめましたが、2回目の受講をしようとは思いませんでした。

その方法はきれいな声は出せるようになるかもしれませんが、ヘタをするとその人の本音は乗りにくい声になります。
私はもっと土臭くてもふくよかな自分の声が欲しいと願っていることに気がつきました。

自然界の響きのような優しさや大地の温もりを含む声を出せるようになりたいとそんな自覚が芽生えたのです。

ところが、本当に欲しい『自分の声』のイメージがわかると、そういうレッスンをしてくれる人がどこにいるのか余計に分からなくなって数年が過ぎていきました。

何人かのアーティストさんが倍音の大切さを伝え、セミナー・個人レッスンをしているのですが、本を買って読んでも、どうも私の心の奥がそんなに動いていないので、受講するに至りませんでした。

私は、ちょっと音や声に過敏なところがあって、商業施設の音楽の流れる空間が苦手だったり、声が薄っぺらい人の話を聞いていると気持ちが悪くなったりします。
その人がどんな声をしているかが、その人の容姿よりも重要でした。

他の人の声にも敏感な私にとって、自分の声が硬く、上ずって、引っかかりがあるということだけでも、落ち込んでしまいます。

だからこそ、どうしても本当の声を手に入れたい。
しかも自分が聞いても人が聞いても心地よい声で話したい。

こんなふうに、私は『自分の声を得たい』と切望しながら、きっかけを得られないでいました。
これは、自分の声を得るためのセミナーやレッスンを探し続けるとしても、自分の内面を磨くことと、日本語というものの本質を感じ取っていく感性を磨くことに力を注ごうと、自分の想いの矢印を少し変えました。

そして『言霊の学びをする!』と肚(はら)を決めた時に、あいかさんのCD付きのあわ歌の本をある方から貸していただいたのです。
貸していただいたので、自分で購入しようと注文したタイミングで、事務局の磯村さんと別のルートで繋がりができ「あいかさんが、歌うと小鳥が応えて一緒に歌うんですよ。」と聞いて「この人だ!」と思ったのです。

小鳥と通じるような人から学ぶなら、本当に私が欲しい『自分の声』への道が開けている。

やっと出逢えたと思いました。

決め手は『あいかさんが、歌うと小鳥が応えて一緒に歌うと聞いたから』だったのです。

自然界とのやりとりができる! 大切な人と自分の声・自分の言葉で語らえる!

あいかさんの声に導いていただきながら、母音を「あ~、い~、う~、え~、お~」とからだに向けて丁寧に響かせていった時に、からだの中の微細な粒子が自由になった感覚がありました。

その後に、あいかさんに誘われて、ベランダのような場所へ出たのですが、小鳥の声が自分の中にスッと響いてきて、小鳥が私に語りかけてくれた感覚があり、あいかさんも「小鳥が、ミッチー、ミッチーって呼んでるねっ」と言われるので、とてもとても嬉しかったのを覚えています。

その時はちょうど朝日が上ってくるタイミングで、木々も朝の空気も、お日様までも私の中の微細な粒子と共振している感覚がふぁーと広がり、喜びで心が震えました。

サウンドセラピスト養成講座の合宿が瀬戸内海の大島(やしろ島)で行われた時も、海の女神様を祀る神社に参拝後、波打ち際に立つ鳥居の前で、みんなで歌を歌ったのですが、その時は奇跡のようなことがありました。

あいかさんと受講生2、30人で、自然に溶け込むような声で「うさぎ追いし かの山~」と『ふるさと』を歌い始めると、鳥居の真ん中にクラゲがやってきて、歌う間ずっとそこにいて、歌い終わると同時に海に帰ってゆきました。

アイカサウンドセラピーで養う歌声は、海の中のクラゲちゃんにも通じる。
この世界のすべてのものと通じ合っている。
その場にいた皆と共に、その経験を分かち合えたことは大きな喜びでした。

 

そんな中、オンラインの個人レッスンが始まってから、父の看病をしていた時に、実家にいて、父と母がちわ喧嘩をしていると、とても辛くて…その雰囲気がからだに痛かったのですが。。。
個人レッスンでからだをほぐし、整えて、声を出し、父や母の思いを代弁するような詩歌を読んだ翌日、私は直接何もしていないのに、父と母は、和気藹々と話をしていて、雰囲気がガラッと変わっていたことがありました。

こういうことは1度や2度ではありません。
いつもレッスン当日かその次の日くらいに、自分の周りに変化が現れます。

私の中の微細な粒子が自由に喜びと共に振るえていて、それに反応しているのか、家族に直接何かを言うわけでなくても、家族の状態が良くなるのです。
ご縁あって、私が日頃から応援している方も私がレッスンを受けた翌朝に急に調子が良くなって、何がどうしたのかと感じてみたら、アイカさんのレッスンくらいしか思い当たらないのです。
とても不思議な感じではありますが、いつも私の周りの大切な人に思いがけないいい変化が起こります。
私の予想以上に、パッと瞬間的に時空間が変わるような感じです。

たくさん勉強して、積み上げてきた理論と、正しい筋道で一定期間頑張らないといけないわけではなく、瞬間にご縁の人や場が変わる感じです。
 
そんなレッスンを受け続けていくうちに、私は、誰かに肝心なことを伝えようとする時にも、声が上ずることなく、喉が詰まることなく話せるようになっていきました。
 
私は、ふくよかな、土の温もりを感じるような声が欲しいなと思っていたのですが、そんな声で話せる時間も長くなっています。
 
この何年かで、声を褒められることも多くなりました。

それもただ「綺麗な声だね」と言う言葉でではなく‥です。
自分の声が出せないと悩んでいた20代も、実は、職場では「きれいな声でよく通る声だね」と言われることは結構あったのです。

けれど、内面的な、それこそ自分の核心に迫るような会話では、自分の声が出せないというジレンマの中にいたので、ただ綺麗なだけの声では私としても嫌だったわけです。

今では声に対しての褒め言葉が変わりました。
「聞いていたら癒される」とか「言葉が、わわわと波のように伝わってきてびっくりした」とか、サークル活動でナレーションをしても「あなたの声でナレーションされたら、頑張ろうと思えるわ」と言っていただいたりとか。

それが、実力派ヒーラーの友人だったり、歌い手さんや舞い手さんだったり、詩吟同好会の長老だったりからいただいた言葉だったので、本当に嬉しかったです。

私の朗読を聞いて、わざわざ感動しましたとメールをくださる方もあって、周りの反応で本当に私の声も変わったんだなと実感しているところです。
 
ごく最近も、友人のお子さん(短大生と社会人)とお話ししたのですが、私が大切だと思っていることを、丁寧に声に乗せて伝えたら、相手の目の輝きや反応からそれがしっかり伝わっているんだなということが分かりました。
本人からも何度もお礼を言われたのですが、後から友人からもお礼の連絡がありました。
「進路に悩んでいるタイミングで、子どもたちにとても良い刺激になった」というものでした。

まだ場面によっては、伝えようと力み過ぎて声が本来のところからずれてしまうことがありますが「あ、ずれているな」と分かって、本来の位置へ戻す手立ても見えてくるようになりました。

また、私はもともと心配症の傾向があるので、現在の日本の状況にも危機感と焦りを持っているのですが、自然界と通じ合っていると思える経験を重ねることで、今からどんなに世の中が激変したとしても慌てないでいれるような、心の深いところでの安心感を培っているように思います。

大いなるものとの繋がりを感じながら 未来へキラキラした眼差しを…そこには調和を大切にする日本語がある



日々起こることを辛い・苦しいと思ったとしても、大いなるものとの繋がりの中で捉えると感謝が湧いてくる経験をこの数年させていただいています。
自分や家族が病を持っていたり、介護が必要な家族があっても感謝できるし、状況が良くなったり、治るのもまた感謝だし…実は、そういう視点を持ちやすい日本の風土だったことを思い出していきたいと思います。
(そういう精神性は、日本語の中にのこっています)

かつては知恵遅れの子が生まれたら福を呼ぶ神の子だと大事にする風習があったそうです。世界は奇跡と慈愛に満ちていて、自然界と調和して思いやりの精神で生きることが、世界基準として採用されるよう日本語文化とその響きの研究を進めたいと思います。

自然界の響きと呼応するアイカサウンドセラピーによって、自然の動植物と心通わせ、コミュニティでの役割を意識して行動ができるような心身のあり方を伝えたい・・・
日本語の素晴らしさを感じながら、次世代の子ども達とも感動やインスピレーションを共有し、未来へキラキラした眼差しを向けて生きていきたいと思います。

内側が緩んで、内なる声を大切に、この世界と響きあえる悦びが一瞬先にあります



『アナスタシア』という本が多くの人に受け入れられ、その世界観が共感を呼びましたが、あの感性に至るための技術は、アイカサウンドセラピーにあると思います。

自然界や動植物とのやりとり、時に大地や大気と交信している生き方、周波数を合わせて相手のことを感じ取る能力・・・
 
この自然界は慈愛に満ちて命の循環を作ってくれています。
自然界との交信ができれば私たちは安心して、目の前の相手のことを思って行動できる。

心に安らぎを増やしたい方、受けてみてください。

あなたの内側が緩んで、内なる響きに耳を澄ますことができ、内なる声を表現できるようになった時に、あなたの声があなたの心身を癒してくれると思います。
そう言う技術と精神がアイカサウンドセラピーにはあります。

それができた時、私みたいに声で悩んでいた人も、ご自身の声を得て、本当に大切なことを大切な人に伝えることができ、ご自身の声を好きになれるでしょう。
そしてご自身の声に癒されながら周りを癒すこともできるようになると思います。

本来の声を響かせることは、魔法のランプを手に入れたのと同じくらい素適なこと。

世界はそれに応えて、美しい調べを聴かせてくれます。
音の世界は理屈よりうんと早く私たちを運んでくれ、一瞬先にその世界があります。

プロフィール

こんにちは。ミッチー・トーラスと申します。

この名前は、お仕事上の屋号ですが、私が大切にしていることをこの名前に凝縮させていますので少し説明をさせてください。

ちょうどドーナツの形のようなエネルギー場(リンゴの芯の部分をエネルギーの通り道としてリンゴがだんだん大きくなるようなエネルギーの流れ)のことをトーラスと呼ぶのですが、私たちの心臓にも身体全体にも、トーラス状にエネルギーが流れているといわれています。

そのエネルギーは中心を通って噴水状に広がり、外側を丸く包んで循環していくそうです。
目には見えないのですが、それらは確かにあって、例えば地球を取り巻くトーラスの一つは磁場です。
北極と南極の近くに地磁気のS極とN極があり、磁力の働く方向を結んでいくとトーラス状の磁場が存在していることが分かります。
トーラス状のエネルギーは、ごく微細な細胞1つから、果物や野菜、昆虫、動物、私達の身体、大樹・岩・地球・・・と大小の違いはあれ、あらゆるもの、あらゆるところに流れていて、そのことから私たちは、この世界の物事があらゆる種類や分野を超えて共通の何かを有していることに気付かされます。

大小及び、種類・分野の違いを超えた本質…つまり、ミクロにもマクロにも共通の真理を感受できると、この混迷の時代でも自分自身で人生の舵取りをする力となります。

知識は増えたけれど、何を選択していいか分からないという時には、思い出してください。
実は、大切なことを見出すこのものの見方は、私たちが日頃使う言葉の中にあります。
同音の言葉の多い日本語は多分野に渡る共通の真理を響きの中に有しています。

その観点をもって世界を見れば、心身の調和も人間関係の調和も取りやすくなります。
違いによって争っている今の世の中も、そこを超えて、やがて調和へ向かってゆくと信じています。

共通真理は相似形を成して同じ性質のエネルギー場を形成するので、地球が健やかであるようにするには、私たち一人一人も健やかであることが必要…私は、七歳の時のある強烈な体験によって、心に関心を持ち続けてきましたが、心のあり方が身体にも、家族や友人関係にもその人の世界すべてに投影されていることを感じます。

ただ、学生時代から心理学を学んで実践現場にいた私も自らに応用実践しきれず、29歳の頃に心身症の兆しが出てしまいました。
何かがずれているけれど、どこからどう自分のエネルギーを取り戻せばいいのか分からなくなっていました。

数年後、心理学と東洋哲学の合わさったホリスティックセラピーを友人の助けで受けて、さらに私の場合は、小説を書いて内面を言葉にすることによって心身の調和を取り戻し、さらに微細な響きとか量子物理学の学びが加わって、今は、どうエネルギーを調整すればいいのかのコツが掴めてきました。
そこにアイカサウンドサラピーのテクノロジーも絡んできます。

また、ミッチーという屋号の愛称部分は、日本語の『道』に通じますし、海外の人にも発声しやすい音として名前に選んでいます。



生まれた時は、東京都狛江市に住所がありました。
まだ赤ちゃんの頃、東京の列車の中で、外国人によく話しかけられたそうで、そんな時喜んでニコニコしていたそうです。
ただ、幼すぎて東京での記憶がなく、私が生まれた頃、父は長野県の観光の仕事をしていたのでその話を聞くにつけても長野にご縁を感じることが多いです。
私自身も大人になってからですが、戸隠に数ヶ月、松本市に約1年住んでいました。
戸隠の数ヶ月ってどういうこと?と思われるかもしれませんが、真冬のスキー場で住み込みのバイトをしながらの滞在でした。

実は、戸隠は、父と母が結婚式を計画していた場所です。
このように、ご縁を感じるところに移動しながらあちこちに住むという生活を私は20年近く続けました。
短めの滞在期間(数ヶ月のもの)も含めると、住んだ場所は全国36カ所(北海道3ヶ所・富山・石川・長野2カ所・東京2ヶ所・奈良・京都・兵庫4ヶ所・岡山2ヶ所・香川・山口9ヶ所・鹿児島3ヶ所・熊本2ヶ所・長崎2ヶ所・沖縄2ヶ所・ハワイマウイ島2ヶ所)です。

公務員としても会社組織の中でも働きましたが、当時は、子どもに関わる仕事や芸術に関わる仕事をしていました。
その頃、心身の調子を崩したのをきっかけに、理想を追って走ってきた人生から魂の声に耳を澄ます人生へと切り替えることとなりました。

心身の重心とか肚の感覚に素直になり始めた三十三の時に不思議な夢を見て、大切な何かを思い出すための旅が始まったのですが、沖縄に飛び、次は北海道に飛び、と、それぞれの風土で人の営みを感じながら、土地の人との交流を楽しみ、仕事もさまざまなものに挑戦しました。
バイトでのものも含めると24種類かそれ以上の仕事を経験することになり、それぞれの場で、自分の既成概念を取り崩していく日々を送りました。
土地や生業が違うと物の見え方も違いますし、オーナー家族のお宅に住み込むことが多かったので、家族や親子というものへの思い込みをはずすことにもなりました。

初対面の人ともすぐに話せたり、その土地で盛んな生業についても教えてもらったりが自然にできるようになりましたが、私自身はもともと人見知りで、口数が少なすぎるほどおとなしい、集団に馴染めないタイプの子でした。 

自己主張は苦手で、友達も少ない子でしたが、なんとなく頼りにされることは多く、私自身は自己認識と他者認識のずれの中にいた気がします。いつも自分のことを本当に分かってくれる人はいないと思っていました。

口数が少ない分、黙って絵を描くのはかえって私の内的な言葉を育みました。
小学校から大学までは絵画作品で評価されることが多かったです。
ただ、着色の最中に思うようにいかず、悔しくて泣くことがしばしばありました。
風景は透明な光に溢れ、木々も花も鳥も内側から光るように見えるのに、色々な方法で試しても、その光っている感じが出せなくて…

どうしても光る感じが出したくて、親に連れられて美術館に行くと鑑賞好きの親よりも時間をかけて、どうやったらこんなに描けるんだろう?と考えながら絵を見ている小学生でした。

ダビンチもレンブラントもルノワールも、ミレーも光の表現を追究しています。
絵の具の性質や重ね方で工夫できるとを(美術を専攻したので)今はある程度説明もできますが、もっと重要なことは、生きているものは、みんな細かく振動しているからこそ、光っているように見えるということです。

このことは、大人になって、声とその響きのことを学び、アイカサウンドセラピーで響きを感じるということを訓練してから実感したことです。
私が絵を描くときに惹かれた光は、いのちの振動であり響きだったという気づきが今の活動にも繋がっています。
調和のレッスン 声の響きと言葉による生命エネルギーの調整
  
セラピスト・カウンセラーとして

身体に若干の不調を感じる方、これまでのトラウマを思い出すと辛くなる方、才能の伸び悩みを抱えている方、自分の本当の声に出会いたい方、生まれ育った場所や自分のルーツから力を得て成長したい方、夫婦、親子関係で悩んでおられる方、アーティストやセラピストとしてもっと活躍したい方、また、今の世の中に文句を言いたい方、長いこと同じ課題が終わらない方、そんな方のご相談に乗っています。

まずは、今、起こっていること、気になることを見つめ、エネルギーの相似・同調で見て、その上でどうしたらいいかの指針を一緒に見ていきます。

実は現状を変えるよりも意識の変化が重要です。
意識はもう少し、ど真ん中の調和を求めています。
素直にご自身のど真ん中に立てば、ご自身の中心をエネルギーの噴水が上ってくるように感じられるかもしれません。

不思議ですが、症状が消えることもしばしばあります。
本人は症状が消えなくてもいいや、と思った時に、症状が消えて行くという場合があります。

これを私は日本語を使ってしています。

日本語って、それは当たり前では?と思われるかもしれません。

特に日本語が他の言語と比べて突出している大きな特徴、二大特性を使っています。

そして、日本語の背景にある精神文化を大切に、セラピーやカウンセリングを進めていきます。

日本語を話す人にとって日本語の背景は、その人の背景として意識しているしていないに関わらず存在するので、日本語文化のエッセンスを使うセッションは、その人のDNAがONになりやすい。
そして、アイカサウンドセラピーのテクノロジーを使い、姿勢や呼吸を整え、母音を大切に響かせることによって変化を起こします。理屈で越えられない壁を声でやすやすと越えてしまうイメージです。

日本語を使い始めた頃の古代の人は、この世のあらゆるトーラス状のエネルギー場が共鳴していることを分かっていて、その叡智で本質を捉えながら生活していたように思います。
その叡智が日本語の中に見え隠れしていて、その大切なことを皆さんと一緒に思い出し、蘇らせていこうという活動がサラピーやカウンセリングセッションです。その時に微細な声の振動が助けになります。
このセッションに、あなたが参加してくださると、あなたが楽になり、あなたが生まれてきた喜びを感じ、あなたが笑顔になる。そして、そのことがこの世の恩寵になっていきます。
 
セラピーやカウンセリング以外にも数ヶ月から1年の講座もしています。
 
これまで、言葉の響きについて日本の古代文明との関係でお話しする会には、ご自身の特性を活かして、自己表現・社会貢献したいという個人事業主さんが多く参加されていました。今も受講されている方の中には、ママさんサークルの代表の方がいらっしゃいます。

日本語文化を知ることで、次世代に美しい日本語をのこしたいと思われている方や、ご自身の活動に活かしたいと思われている方には特におすすめです。
 
具体的には 今現在、以下のような活動をしています。

・日本語の特性を活かした調和のレッスン・カウンセリング
 …生命エネルギー場(トーラス場)の乱れを日本語の性質を使って癒し調える
  キネシオロジー・色・言葉などを使った心身調整は15年間程のキャリア有り
  のべ1256人←同じ方の複数回セッション含む
・日本語文化(日本語の背景にある精神文化)を蘇らせるための活動『日本語道』
  この前身といえる言霊学びの会の頃から数えると7年目 
・日本古来の祈りの言葉(祝詞)の教室 事務局・講師 3年目
・お一人お一人の産土様への祝詞をご準備 (産まれた土地と土地の神様への感謝)2年目
小学生の頃からなりたかったのが小学校の先生でした。

色々な分野において可能性の塊である子どもと共に学び成長できる大人でありたかった。

実際に教員になり、大変なことは多かったですが、客観的にはかなり自分の道を歩ませてもらっていて、ある意味とても幸せだったと思います。

小学校教員免許・中学校教員免許(美術)
 
生後半年から大学受験までの幼児・児童・生徒の学び場に10年以上いました。

公立学校では、いわゆるお勉強的になってしまい、家庭教育との連動が少ないと学びが生活に生かされにくいという現状がありました。
子どもの育つ場は学問と生活が遊離していてはならないと総合的な学びの実践を欲していた時に、生活と学びの共育を掲げる私立学園から来てほしいとお誘いいただき、自由にカリキュラムも組ませていただきました。
不登校の子どもたちを多く預かっていたので私も寮に入って朝から晩まで共に過ごしました。

そこにくる子どもたちは、とても繊細で美術表現に向いている子も多かったように思います。

熊野筆で有名な熊野市の開催するの子どもの美術展で子ども達の絵が学校賞をもらったこともあります。
 
自分も市の美術展で奨励賞や県美展で入選をいただいているのですが、私のセンスではその当時の子ども達のセンスには敵わないと思いました。小さい頃から筆を握ってきた私でも、真似できない筆の勢いとか色使いの子がいました。自分が到底敵わないと思うような作品が自分の作った場から生まれることが喜びでした。

自分は、教科の枠を取っ払った表現教育の一環として演劇も授業に取り入れていたのですが、表現というのはつまり芸術表現であり、芸術は青天井ですから、それぞれの子どもの才能は伸びるだけ伸びていきます。
十人十色の才能を見出して、ちょっとだけ声かけをすることが私の最も楽しい時間でした。
どんどん私が真似できないような素晴らしい表現をしてくれると、それがとても嬉しくて。。。

今は、そんな生き生きした場がそれぞれの家庭にあればいいなと思い、お母さんへのサポートも行なっています。
読み聞かせアドバイザーを行なっていたこともあり、今まで3千冊以上の絵本を読み、保育所で毎日のように読み聞かせをしていた時期もありました。
読み聞かせや作文・国語教育に関することも前述した私の講座、日本語道で伝えています。
現在、言葉にご関心を持たれていやる方とのご縁が強く、楽しくご縁を育んでいます。  

その時々にいただくご縁に全力で向かっています。  

言葉をベースにお仕事を展開されている方の割合も高いかなと思います。  

ママさんサークルの代表の方や、個人レッスン・グループレッスンをされている方、保育所などで講師として呼ばれるような方もいらっしゃいます。  



お子さんが登園渋りや不登校で、ご相談いただき、起業のお話に至ったケースもありました。  

皆さんに共通するのは、現状にある種の問題意識をもっておられて、そこを突破して、誰かの笑顔を喜びとして活動されているということ。  

誰もが誰かの笑顔の力になれる。それだけでもう社会に貢献しているし、その喜びこそが社会を作っていくと思います。

日本の社会は本来、個々人の特性が、全体に貢献するという真理を当たり前に実践していました。
その真理を言葉の響きの中に有している日本語がセッションで助けになります。  

日本語の世界が広がって感じられると思います。
音の面においても。そして、言葉の音の刺激により、あなたの天性が、たとえ今まで埋もれていたとしても、息を吹き返すはずです。  

今まで、親戚との人間関係で何年も悩んで、苦しんでおられた方が一気に晴れやかな気持ちになられたり、上司との関係で大きなストレスを受けて、その職場を離れたのにそのストレスが体に影響し続けPMS(生理前症候群)を起こしていた人が、一回のセッションで翌月から全く症状が出なくなったり、声が出なくて息が詰まる方が数ヶ月のセッションで気にせずに話すことができるようになったり、自分の好きな仕事で収入が上がらなかった方が、今では自信を持って生徒さんを教えられるようになり、もはやレッスンが予約待ちになっていたりしています。      

そんな中、私が最も軽やかで最も威力を持つと感じているのが、微細な響き(多層に起こる微細な振動)を感じる力、振動感受性です。  

それらは一瞬で世界を感知します。
振動を感じることによって一気に気づきに至れるので、早いです。
そして、そこへ調和へ至るための声の響きを入れてゆく。
アイカサウンドセラピーを学んできたことによって、量子物理学ベースの心理カウンセリングもより迅速に本質を捉え易くなり、変化を起こしやすくなりました。

今こそ社会のお役に立てると喜んでいます。


短めの滞在期間(数ヶ月のもの)も含めると、住んだ場所は全国36カ所(北海道3ヶ所・富山・石川・長野2カ所・東京2ヶ所・奈良・京都・兵庫4ヶ所・岡山2ヶ所・香川・山口9ヶ所・鹿児島3ヶ所・熊本2ヶ所・長崎2ヶ所・沖縄2ヶ所・ハワイマウイ島2ヶ所)です。

公務員としても会社組織の中でも働きましたが、当時は、子どもに関わる仕事や芸術に関わる仕事をしていました。
その頃、心身の調子を崩したのをきっかけに、理想を追って走ってきた人生から魂の声に耳を澄ます人生へと切り替えることとなりました。

心身の重心とか肚の感覚に素直になり始めた三十三の時に不思議な夢を見て、大切な何かを思い出すための旅が始まったのですが、沖縄に飛び、次は北海道に飛び、と、それぞれの風土で人の営みを感じながら、土地の人との交流を楽しみ、仕事もさまざまなものに挑戦しました。
バイトでのものも含めると24種類かそれ以上の仕事を経験することになり、それぞれの場で、自分の既成概念を取り崩していく日々を送りました。
土地や生業が違うと物の見え方も違いますし、オーナー家族のお宅に住み込むことが多かったので、家族や親子というものへの思い込みをはずすことにもなりました。

初対面の人ともすぐに話せたり、その土地で盛んな生業についても教えてもらったりが自然にできるようになりましたが、私自身はもともと人見知りで、口数が少なすぎるほどおとなしい、集団に馴染めないタイプの子でした。 
自己主張は苦手で、友達も少ない子でしたが、なんとなく頼りにされることは多く、私自身は自己認識と他者認識のずれの中にいた気がします。
いつも自分のことを本当に分かってくれる人はいないと思っていました。

口数が少ない分、黙って絵を描くのはかえって私の内的な言葉を育みました。
小学校から大学までは絵画作品で評価されることが多かったです。
ただ、着色の最中に思うようにいかず、悔しくて泣くことがしばしばありました。
風景は透明な光に溢れ、木々も花も鳥も内側から光るように見えるのに、色々な方法で試しても、その光っている感じが出せなくて…

どうしても光る感じが出したくて、親に連れられて美術館に行くと鑑賞好きの親よりも時間をかけて、どうやったらこんなに描けるんだろう?と考えながら絵を見ている小学生でした。

ダビンチもレンブラントもルノワールも、ミレーも光の表現を追究しています。
絵の具の性質や重ね方で工夫できるとを(美術を専攻したので)今はある程度説明もできますが、もっと重要なことは、生きているものは、みんな細かく振動しているからこそ、光っているように見えるということです。

このことは、大人になって、声とその響きのことを学び、アイカサウンドセラピーで響きを感じるということを訓練してから実感したことです。
私が絵を描くときに惹かれた光は、いのちの振動であり響きだったという気づきが今の活動にも繋がっています。