トーラス状のエネルギーは、ごく微細な細胞1つから、果物や野菜、昆虫、動物、私達の身体、大樹・岩・地球・・・と大小の違いはあれ、あらゆるもの、あらゆるところに流れていて、そのことから私たちは、この世界の物事があらゆる種類や分野を超えて共通の何かを有していることに気付かされます。
大小及び、種類・分野の違いを超えた本質…つまり、ミクロにもマクロにも共通の真理を感受できると、この混迷の時代でも自分自身で人生の舵取りをする力となります。
知識は増えたけれど、何を選択していいか分からないという時には、思い出してください。
実は、大切なことを見出すこのものの見方は、私たちが日頃使う言葉の中にあります。
同音の言葉の多い日本語は多分野に渡る共通の真理を響きの中に有しています。
その観点をもって世界を見れば、心身の調和も人間関係の調和も取りやすくなります。
違いによって争っている今の世の中も、そこを超えて、やがて調和へ向かってゆくと信じています。
共通真理は相似形を成して同じ性質のエネルギー場を形成するので、地球が健やかであるようにするには、私たち一人一人も健やかであることが必要…私は、七歳の時のある強烈な体験によって、心に関心を持ち続けてきましたが、心のあり方が身体にも、家族や友人関係にもその人の世界すべてに投影されていることを感じます。
ただ、学生時代から心理学を学んで実践現場にいた私も自らに応用実践しきれず、29歳の頃に心身症の兆しが出てしまいました。
何かがずれているけれど、どこからどう自分のエネルギーを取り戻せばいいのか分からなくなっていました。
数年後、心理学と東洋哲学の合わさったホリスティックセラピーを友人の助けで受けて、さらに私の場合は、小説を書いて内面を言葉にすることによって心身の調和を取り戻し、さらに微細な響きとか量子物理学の学びが加わって、今は、どうエネルギーを調整すればいいのかのコツが掴めてきました。
そこにアイカサウンドサラピーのテクノロジーも絡んできます。
また、ミッチーという屋号の愛称部分は、日本語の『道』に通じますし、海外の人にも発声しやすい音として名前に選んでいます。
生まれた時は、東京都狛江市に住所がありました。
まだ赤ちゃんの頃、東京の列車の中で、外国人によく話しかけられたそうで、そんな時喜んでニコニコしていたそうです。
ただ、幼すぎて東京での記憶がなく、私が生まれた頃、父は長野県の観光の仕事をしていたのでその話を聞くにつけても長野にご縁を感じることが多いです。
私自身も大人になってからですが、戸隠に数ヶ月、松本市に約1年住んでいました。
戸隠の数ヶ月ってどういうこと?と思われるかもしれませんが、真冬のスキー場で住み込みのバイトをしながらの滞在でした。
実は、戸隠は、父と母が結婚式を計画していた場所です。
このように、ご縁を感じるところに移動しながらあちこちに住むという生活を私は20年近く続けました。
短めの滞在期間(数ヶ月のもの)も含めると、住んだ場所は全国36カ所(北海道3ヶ所・富山・石川・長野2カ所・東京2ヶ所・奈良・京都・兵庫4ヶ所・岡山2ヶ所・香川・山口9ヶ所・鹿児島3ヶ所・熊本2ヶ所・長崎2ヶ所・沖縄2ヶ所・ハワイマウイ島2ヶ所)です。
公務員としても会社組織の中でも働きましたが、当時は、子どもに関わる仕事や芸術に関わる仕事をしていました。
その頃、心身の調子を崩したのをきっかけに、理想を追って走ってきた人生から魂の声に耳を澄ます人生へと切り替えることとなりました。
心身の重心とか肚の感覚に素直になり始めた三十三の時に不思議な夢を見て、大切な何かを思い出すための旅が始まったのですが、沖縄に飛び、次は北海道に飛び、と、それぞれの風土で人の営みを感じながら、土地の人との交流を楽しみ、仕事もさまざまなものに挑戦しました。
バイトでのものも含めると24種類かそれ以上の仕事を経験することになり、それぞれの場で、自分の既成概念を取り崩していく日々を送りました。
土地や生業が違うと物の見え方も違いますし、オーナー家族のお宅に住み込むことが多かったので、家族や親子というものへの思い込みをはずすことにもなりました。
初対面の人ともすぐに話せたり、その土地で盛んな生業についても教えてもらったりが自然にできるようになりましたが、私自身はもともと人見知りで、口数が少なすぎるほどおとなしい、集団に馴染めないタイプの子でした。
自己主張は苦手で、友達も少ない子でしたが、なんとなく頼りにされることは多く、私自身は自己認識と他者認識のずれの中にいた気がします。いつも自分のことを本当に分かってくれる人はいないと思っていました。
口数が少ない分、黙って絵を描くのはかえって私の内的な言葉を育みました。
小学校から大学までは絵画作品で評価されることが多かったです。
ただ、着色の最中に思うようにいかず、悔しくて泣くことがしばしばありました。
風景は透明な光に溢れ、木々も花も鳥も内側から光るように見えるのに、色々な方法で試しても、その光っている感じが出せなくて…
どうしても光る感じが出したくて、親に連れられて美術館に行くと鑑賞好きの親よりも時間をかけて、どうやったらこんなに描けるんだろう?と考えながら絵を見ている小学生でした。
ダビンチもレンブラントもルノワールも、ミレーも光の表現を追究しています。
絵の具の性質や重ね方で工夫できるとを(美術を専攻したので)今はある程度説明もできますが、もっと重要なことは、生きているものは、みんな細かく振動しているからこそ、光っているように見えるということです。
このことは、大人になって、声とその響きのことを学び、アイカサウンドセラピーで響きを感じるということを訓練してから実感したことです。
私が絵を描くときに惹かれた光は、いのちの振動であり響きだったという気づきが今の活動にも繋がっています。