自分らしく自分の声で表現ができない
「いい声をしている人は、豊かだよ。経済的にも成功しているよ」と聞いたのは20代。
『いい声』というのは、きっと『自分らしい自分の声』なんだろうけれど…
私は長い間『まだ本当の自分の声(いわゆるマイボイス)じゃない…』と感じ、肝心なことが相手に伝わらない悔しさと共に、自分の声を好きになれずにいました。
肝心な時に『自分らしく自分の声で表現ができない』
…自分の夢や自分の理想・自分の意志を伝えようとする時に限って、声が上ずったり、声が詰まったりすることが悩みでした。
よく覚えているのは、家族ぐるみの付き合いがある中学からの同級生とのやりとりです。
大人になってからも私の悩みを聞いてくれている親友なのですが…そういう相手なのに声が上ずるのです。
当時、仕事の上では、声が上ずったりすることもなく、会議でも自分の意見を割としっかり発言していたという感覚があるのですが…。
家族以上に私の弱さも知っているその友人に、自分が大切にしていることを語ろうとしたら、そのときの声に違和感が・・・
『こんな声は自分じゃない』『どうして?』と焦りました。
…そのタイミングで友人はスッと席を立って向こうに行ってしまいました。
トイレに行くためだったのか、飲み物を持ってくるために台所に行ったのか、それはもはや覚えていないのですが、肝心な話の途中なのに…
「私のこの思いはこんなにも伝わらないの?」と心の中でうな垂れていました。
話の途中に、何か他のものに目をやったりされると『私の話には気迫も何もないのか。いや力みが痛々しいのか』と思ってしまいます。
それでも懸命に話を続けたら、最後に「声が硬いね」と言われたのです。
自分でも物のように硬い声が、自分の近くに落ちていくような…つまりまともに友人に届いていないことを感じていたので、自分の現状に愕然としました。
私が真剣に考え、行動に移そうとしていることは、不十分なのか、私は頭だけが先行していて、深みのない人間なんじゃないか…
もっと柔らかくふくよかな声で、それでいて地に根ざしたような声で語りたいけれど、今はそうではない。
私が未熟すぎるのか、声を発するときに何らかの心理的フィルターが強くかかってしまったのか。
親友だけでなく、家族や、恋人、旦那さんに大切な話をしたいときもそうでした。
これまでに何度もそういうことがありました。
自分の最も身近な人に、どうして本当の声で語りかけることができないのか、悔しいと同時に、悲しくなって、どうしたらいいか分からなくなっていました。